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いら立ち。

 深夜、都内の街はいら立ちと不穏さを増してきているような気がする。昨夜、酷い目に遭った。

 ダークグレーのスーツを着た、がっちりとした体形の40絡みの男は、店に入ってきた時にはすでに、まっすぐに歩けないくらい泥酔していた。友人と思しき男を一人従え、席に着くなりごろんと横になり、店内にいた私と中国人店長に向かって中国語と日本語でしきりに悪態をつく。店長は笑いながらそれを受け流していた。

「どうぞどうぞ。日本人になりやがって。勝手にやれよ、ああ、ハイハイ」

 などと、意味不明な言葉を私にも投げかけ挑発してくる。2011年3月23日、東日本大地震が襲った後の新宿歌舞伎町、深夜2時のことだった。

「おい、俺は、オマエがオムツしていた時からこの街と店長のことは、よく知ってるんだよ!」

 男が怒鳴り、側にいた連れがあわてて口を抑える。10秒ほど、私はじっくりと考え込んだ。ん、何だ、これは。しかし、この度重なる無礼な言動に対し、抗議の一つもしたくなった。男の顔を見て、言った。

「そのオムツをしていたオマエとは、もしかして私のことですか?」

 その瞬間である。「そうだよ!」と怒鳴るや、いきなり男は持っていたグラスを私に向けて投げ付けた。距離にして4メートルほどだったか。グラスは、私の左目の少し上のところに、ゴチャッという鈍い音と共に――私にはそう聞こえた――命中し割れた。破片と水しぶきが私の顔と服に飛び散った。そして男はなおも猛り立ち、ガラス製の灰皿を自分の頭の上に持ち上げると、目の前にあるテーブルに思いっきりぶつけ叩き割った。

「これでオマエの頭、殴りつけてやる!」

 怒りと怖れがない交ぜになり打ち震える手で、私は、顔や服に付いた水しぶきを払いながら、相手の男を睨みつけた。イッタイ、ナンナンダ、コレハ。連れの男も身構え私の出方を窺っている。あまりの出来事に店長が驚き慌て、グラスをもろに受けた私の顔におしぼりを当てている。

「ほら、かかってこいよ。ここは、歌舞伎町だろ、ええ。警察呼んでいいよ。おい、どうなんだ!」

 さらに挑発する男と、それをニヤニヤとしながら横目で見やる連れの男。グラスをもろに受けるとは、反射神経にかなり問題があるな。あれが拳銃だったら、一発で仕留められているな。増幅する怒りと屈辱の中、衝撃を受けたはずの私の半分の頭は、それなりに冷静に状況を分析していた。

「ああ、ハイハイ、ごめんなさい、悪かったです。ハイハイ、ごめんなさいねえ。ほら、いつでも来いよ!」

 不良中国人の取材を初めて十年以上が経つ。脅しを受けたり嘲笑や口汚い罵りを受けたりなど、この間、様々な出来事を経験してきたが、この世界にある微妙な間合いというものを、それなりに体得しているつもりだった。しかし、目の前にいる男には、それが全く通用しない。そしてなにより、「彼ら」との付き合いの中で、これまでで最も不快な思いであり、味わったことのない複雑な感触だった。

「オレは日本人だよ。中国東北部出身で帰化したんだよ。なんか文句あるか」

 グラスを投げつける前、男はそう言った。

「地震や原発の不安で皆が帰国する中、今も日本に残っているとは大変ですね」

 仕方なく、私はそう答えたと思う。男は初めからかなり酔っ払っていた。この店に来る前にも喧嘩沙汰を起こし、トイレの中で店員の頭を便器の中に突っ込んでいたという。誰でもいいから絡んでやる、そう思っていたことに間違いはなかった。

 しかし、この僅かな会話のどこかに、何か彼の琴線に触れるものがあったのではないか。稚拙で荒っぽい彼の怒りの表出の仕方に、日本と中国の暗くて深い溝を感じ、また、不思議なことに彼の姿から、ある既視感めいたものを覚えてもいた。幸い目立った外傷は無かった。男を睨み据えながら怒りを感じ、そしてその怒りを考えていた。

 店長が、なおもいきり立つ男を必死に止めている。「ごめんなさいね、ごめんなさいよ」とふざけた口調で言いつつ、私と彼らの間に二人の店員が壁を作る中、ようやく二人の男は席を立ち、店を去っていった。

「中国の女はどこに行った? 女を買える店はどこだ。売春女はどこにいる!」

 そう喚き散らす男の姿は、まさに下劣の極北だった。
 
 被災地の悲惨な状況が伝えられ首都圏では計画停電が続く中、不謹慎にも深夜の街をさまよう私が出会うのは、こういった連中なのだ。私にとっての中国と日本が彼らであり、彼らこそが、私が「求め」ている日本と中国なのだ。

 そう思いつつ落ち着きを取り戻そうと、私は店長に男の素性を聞いた。男は、日本の高級ホテルグループPの中国観光客部門の室長であるという。連れの男もまた東北部の出身で、朝鮮族の中国人だった。日本語が上手く日本人に帰化した男に、年を追う毎に裕福になる中国の観光客を誘致する役割をあてがったのだろう。しかし、地震が起き観光客どころか、日本中の中国人の多くが、この国から雲の子を散らすようにして逃げ去った。客がいなくなった男の仕事は滞り、翌日から被災地へとボランティアに駆り出される予定だと言う。憤懣と苛立ちを募らせていたわけだ。

 そしてどうやら、7年ほど前、この男と私は、歌舞伎町の中国人クラブで一度出会っていたようだ。男はある街の中国人グループの顔役と共に、その場にいたという。街で違法ドラッグか何かを売りさばいていたゴロツキだった男は、今や日本の高級ホテルの中国人担当部室長となり、来日する中国政府の要人や大使館員の窓口になるなど、「出世」していた。

「中国人客だけに依存していたから、中国人が日本に来なくなると、もう終わり。彼は帰化して日本人になり会社勤めだから、中国には帰りづらい。でも、今の仕事の中身は中国人依存症みたいなもの。覚せい剤もそうだけど、何でも依存しちゃダメだよね」

 男のことを知る街の不良中国人はそう言い、嗤った。怒りと屈辱を抱えた私の腹は、この言葉に同調し、不快極まる気分が少しだけ和らいだ。

 一週間ほど後の四月一日に、私は、余震が続く東京を離れ中国上海へと向かう予定だ。日本から逃亡した在日不良中国人を追いかけることが、その主目的だ。日本列島に押し寄せてきた地震と津波、そして見えない放射線の恐怖は、中国人だけでなく不良外国人の多くをこの国から一掃した。しかし、彼らは忘れた頃に、間違いなくまたやってくる。

 今は、海を越える不良中国人たちの濁流に、私は、ただひたすら身を任せたいと思っている。
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小野登志郎

Author:小野登志郎
職業 ノンフィクション・ライター。ハードボイルドに疲れてきた三十路後半男。枯れていくばかりの人生を楽しむことにします。

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