スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「東電に非ずんばプランに非ず」!?

 冗談めかしてだけど、今までにそんなことを言う編集者に3人会った……。今こそ徹底追及の時、であることは重々承知だし、大体からして遅いくらいなんだから、言い返す筋ではまったくない。

 だけども「こんな時だからね……」とか言われながら別の企画を提出してもあっさりスルーされて、早2カ月以上。いつもまで続くのか、というかいつまでも続けなければならないのだろうけど、自分が一年以上追いかけてきたある人物が、つい先日逮捕されたことまで「ああ、そうかあ……」とあっさり流されてしまうと、さすがにへこんでしまう。

 いずれ原発推進派の巻き返しが始まるだろうし、もう既に綿密に計画されてもいるだろう。反原発運動の「盛り上がり」が去った後こそが、本当の正念場を迎えることになるだろう。

「東電に非ずばプランに非ず」の内容が、今とは正反対に、ずぶずぶの御用記事になる日がくることだけは、せめて、なんとしても避けてもらいたいものだ。
 
 
 



 

 

スポンサーサイト

核のゴミのゆくへ。

 この間の地震や津波、そして原発関連報道で大活躍したのは間違いなくネットだったと思う。私の周りの報道関係者の中でも、「新聞って、今の時代、意味があるのかな……」などと言っている人が多数存在していた(当の新聞記者自身もそう言っていた)が、下記は、その新聞の中でも部数低迷著しいと聞く毎日新聞が発した本当に頭の痛くなる大スクープだと思うので、全文貼付したい(でもネットで知ったんだけどね……)。
 
「核処分場:モンゴルに建設計画 日米、昨秋から交渉 原発ビジネス拡大狙い

 ◇福島事故受け批判必至

 【ウランバートル会川晴之】経済産業省が昨年秋から米エネルギー省と共同で、使用済み核燃料などの世界初の国際的な貯蔵・処分施設をモンゴルに建設する計画を極秘に進めていることがわかった。処分場を自国内に持たない日米にとって、原子炉と廃棄物処理とをセットに国際的な原子力発電所の売り込みを仕掛けるロシアやフランスに対抗するのが主な狙い。モンゴルは見返りとして日米からの原子力技術支援を受ける。だが、東日本大震災による東京電力福島第1原発事故で日本政府は原子力政策の抜本的な見直しを迫られており、「核のゴミ」を第三国に負わせる手法に批判が出そうだ。

 各国の交渉責任者が毎日新聞の取材に計画の存在を認めた。

 関係者によると、3カ国交渉は昨年9月下旬、ポネマン米エネルギー省副長官が主導して始まり、経産省、モンゴル外務省が担当。核廃棄物の国内処分地選定の見通しが立たない日米と、技術支援で核燃料加工施設や原発を建設したいモンゴルの思惑が一致した。

 原子力エネルギーは気候変動を防ぐ有効策とされ、原子炉1基数千億円のビッグビジネス。日本政府は原発輸出を国家成長戦略の柱に据え、ベトナムで受注に成功、インドやトルコとも交渉中だ。しかし、ロシアなどは原子炉と使用済み核燃料の引き取りをセットで販売しており、日米は不利な状況にある。

 日本は英仏に再処理を委託、青森県六ケ所村に再処理施設建設を急ぐほか、同村に高レベル放射性廃棄物の一時貯蔵施設を保有するものの、他国に供給した核燃料の引き取りは極めて困難。2035年までに国内に最終処分地を選定する計画も難航が予想される。

 米国もブッシュ前政権が02年にネバダ州に最終処分地を選定したが、地元の反対でオバマ政権が09年に計画中止を決定。使用済み核燃料の処分問題が宙に浮いてしまった。

 このため日米は、処分問題の解決と「国際的な原発売り込みの弱点を埋める」(経産省)ため、地盤が強固なモンゴルに貯蔵・処分施設を造ることで一致。施設は地下数百メートルとなる見込みだ。経産省は計画実現で、原子炉メーカーの東芝、日立などの国際的な原子力ビジネスを支援できるとみている。

 また国際原子力機関(IAEA)が、「モンゴルはウラン推定埋蔵量は150万トン以上の可能性がある」と指摘しており、開発が進めば世界トップ3のウラン供給国となる可能性が高い。日米は計画実現でウラン燃料の安定確保も狙う。

 核廃棄物の国際輸送は、通過国や受け入れ国の同意に加え、IAEAなどが定める輸送方法に従えば可能。ただ、3国交渉の段階で計画が表面化すれば、通過国となりうる中国やロシアなどの干渉やモンゴル国民の反発も予想され、交渉は極秘に進められた。

 しかし今年2月、ワシントンで3カ国が包括的な外交文書への署名にこぎつける予定だったが、直前に計画を知らされた日本外務省が「政府内での調整がまったく進んでいない」と反発。経産省主導に外務省が横やりを入れた格好で、署名は延期。その後に大震災が発生し、署名などの日取りは未定だ。

 日本は大震災で原発政策の見直しを迫られているが、国内すべての原発をなくしたとしても、処分施設は必要。ただ、技術支援の見返りに核のゴミを他国に引き受けてもらう手法は、電源3法交付金による地域振興策をセットに福島などで原発の建設を進めたのと同じ発想と言える」
(「毎日新聞」5月9日朝刊 http://mainichi.jp/select/world/news/20110509ddm001040055000c.html)

 
 なんだか、そういうことになるんじゃないのか、そう思っていたら、やっぱりそうだった……。
 
 原発問題で最もどうしようもないのが、この最終処分場である。青森県六ケ所村の「一時貯蔵施設」を取材したことがあるが、運営する原燃関係者も村民の多くも、「いずれ受け入れ先が決まるでしょうから」なんて言っていたが、探しに探したその「受け入れ先」がモンゴル(のおそらく砂漠地帯)だったとは……。

 記事によれば、外務省の横槍(自民党政権だったら、そのままスムーズに行っていたかもしれない)と今回の大震災がなければ、日本が生みだし、日本人が享受したエネルギーによって生まれた核のゴミを、モンゴルに持っていってしまったのかもしれないのだ。モンスター化した原子力資本と政策が、国境をやすやすと超えていく様は、もはや喜劇と言うしかない。何がエコだ。「エゴ」だろ……。

 福島第一原発の放射能に汚染されたがれきの山のゆくへも要注目だが、私が取材しているある帰化中国人の産廃業者は「資材の放射線量の数値規制って、どうなってるの?」と聞いてきたが、ああ……、何を考えているのか、分かりすぎるくらいよおく分かってしまったので、「何も知りません……」と答えたが、どこにも持って行けない核のゴミに関しては、おそらく国家と資本とアウトローの最前線では、もはや同じ思考回路として存在しているのだろう。

 日本側はともかく、中国の税関は緩いよ。溜まりに溜まった汚染物質を引き取ってくれるなら、そりゃ値段はいくらでも高くなるだろうよ。

 業者の中には、海上保安庁の監視を掻い潜ってこっそりこっそり、例えば大しけや台風通過時とかに、産業廃棄物を海に捨てるプロたちがいるが、「誰もやりたがらない、しかし誰かがやらないといけない汚れた仕事をオレたちはやっているんだ」という「必要悪」の論理を、実は国家と資本の「叡智」たちが最大級の規模でやっているんだから、もうウンザリげんなりである。

「いいんじゃないの、モンゴルだし」とか平気で言える日本人が、それなりに存在していると容易に推測できることもまた、脱力することしきりである。

 もうすでに、日本だけで1万2千トン以上の高レベル放射性廃棄物を抱え込んでいるという。半減期は二万年とかウン十万年とか、とにかくよく分からん代物だ。

 最近思ったのだが、原子力関係の科学者たちって、実は体育会系のノリも持ち合わせているんでないだろうか。「大丈夫だって! 心配するな、オレに任せろ!」みたいな感じで突っ走ってきたツケのゆくへが、結局モンゴルなのか? 

 モンゴルか……。モンゴルなのか。本当にモンゴルでいいのか? 

 本当は、できることなら宇宙とかに捨てたいんだろうな。でもそんなことすると、地球外生命体が本気で怒るだろうな……。

 モンゴル、モンゴル、モンゴルか……、と考えていたら、なんだか知らないが、頭の中で「コンドルが飛んでいく」が流れてきた。「ずっとウソだった」じゃなくて、「モンゴルに持っていく」だ(アホ)。

 あと、ひょんなことから出会った広島の若い平和活動家との会話で出た、下記の言葉が浮かんできた。

「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」(村上春樹 エルサレム・スピーチ)

 壁とはシステムのことであり、卵とは私たち一人一人のことでもあるという。勝ち目は無い、絶望的だぁ……。ハルキさんは続けて言う。

「もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう」

 隠れハルキストである私は、とりあえずこの言葉を抱きしめることしかできない。憂うつ極まりないが、バランスよく制御された鬱は、精神的にかなり高度な状態であるともいう。生命力にあふれた「鬱蒼とした森林」をイメージし、もうすでに何世代にも渡ってぶつかる必要性がある核のシステムを、とにかく思い考えることにしたい。

「『システム』が私たちをつくったのではなく、私たちが『システム』をつくったのです」(前出スピーチ)

 システムの暴走に加担するのか、それともシステムと対峙するのか。壁側に立つのか、それとも卵側に立つのか。

 やっぱり、壁側の方が儲かるだろうなぁ……(冗談)。


土下座。

 被災地で東電社長他幹部数名が、土下座行脚を続けている。被災者のど真ん中でいい歳をした「紳士」たちが土下座する映像、画像に、奇異な思いを覚えている。

 土下座とは、「weblio辞書」中の「三省堂大辞典」によれば、下記のことだという。

「(1)昔、貴人の通行などの際、町人などが地面にひれふしたこと。(2)真心を表すために、(1)のようにすること」

 また、ウィキペディアにはこうある。

「土の上に直に坐り、平伏して座礼を行うこと。日本の礼式のひとつで、極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の意を表す場合に行われる」

 生活を壊された被災者が「謝れ」「土下座しろ」と怒る気持ちは分からなくはない。しかし、その要求に応じて東電幹部たちが「謝って」「土下座」して済む話でももちろん無い。

 以前、雑誌の記事でちょっとしたミスをしてしまった編集者が、当該記事にイチャモンを付けたヤクザの事務所に行って、ヤクザから怒鳴られる前にいきなり土下座して「スミマセンでした!」とやったという。その時ヤクザは、「ドMか……、テメェ」と言い、絶句しそのまま許したという。

 土下座は、怒っている相手の機先を制してこそ意味がある。今の時代、土下座をするには何らかの、ある意味が込められている。

 ほんのちょっと前まで「貴人」「極度に崇高高貴」な人間だったはずの東電社長ら幹部を土下座させて、留飲を下げた被災者もいるかもしれない。しかし、何か機械的なこの「土下座」行為に違和感を覚える被災者もいることだろう。

 今行われている公開の場での土下座に何か意味があるのか。昔、町人が貴人の前で地面にひれ伏した時、本当は心の中で何を思っていたのだろうか。「ドM」と言われた編集者が本心では何を思って土下座したのだろうか。土下座という行為と、それを行う人間の本音のところでは、誠意、謝意ということにおいて、大いに乖離があると思うのは気のせいだろうか。

 日本的なのかもしれないが、正直、土下座というものは、あまり見たくないし、させたくもないものである。そしてもちろん自分もやりたくない。

 ともかく、この土下座の行く末がどうなっていくのか。注意して見守っていきたいと思っている。
 
 
  
 
  
プロフィール

小野登志郎

Author:小野登志郎
職業 ノンフィクション・ライター。ハードボイルドに疲れてきた三十路後半男。枯れていくばかりの人生を楽しむことにします。

◆お願い 
 このブログの記事は、転載フリーではありません。
 転載希望の場合は、必ず連絡して許可を得てからにするか、リンク先を明記して下さいね。
 

カレンダー
04 | 2011/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
お問い合わせ先
お仕事のご依頼、情報の持ち込み、その他お問い合わせ、基本的に何でも歓迎します。下記メアドまで。onotoshirou@yahoo.co.jp

名前:
メール:
件名:
本文:

メルマガ発行中
RSSフィード
リンク
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。