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「偉」の年。

 日本に存在する「中国人マフィア」と呼ばれる人間の中に、「偉(ウエィ)」という尊称を自称、他称している者らがいる。代表的で有名なのは「大偉(ダーウェイ」「小偉(シャオウェイ)」だが、他にも一頭地出た人物がこの称号を名乗っている。

 私が知っている限り歌舞伎町に出入りしている「偉」氏は数人いるが、一か月前に逮捕されたある「偉」氏は、20日間の拘留の後釈放された。その「偉」氏が実質的オーナーを務める中国人デートクラブ、いわゆる違法売春クラブに、日本人の女性が数人在籍している。客層は深夜にもなると日中の闇社会の人間で溢れかえる。店の一人の日本の女性が「来年は日本は追い抜かれて中国が世界第二位になるんだよね……」と言っていたが、単なる直感でしかないが、中国の経済成長の伸長を物語っているかのように、街に出入りする中国人の鼻息は年々荒くなっている。豪傑然と見せ、やたら大声を張り上げる中国人のグループを指して、先の日本の女子が「なんか、中国よりもアメリカの方が良くない?」などとつぶやいた。「中国人の店で働くんだから中国語はできるの?」と私が聞くと、現在の中国の威勢を文字通り心身でもって対峙しているこの女は「中国語はできない。なんで喋れる必要があるの? ここは日本、歌舞伎町でしょ!」と言い、店にいる他の中国人女子とのつばぜり合いの隠微な〝模様〟を詳細に説明してくれた。

 街の底の片隅から湧きあがるナショナルな精神の覚醒……。と言えば大げさかもしれないが、今、そして今後我々の多くが直面するであろう、新たな超大国との荒々しいコミュニケーションをある肌寒さと共に感じてはいる。

 少し話は変わるが、移民問題について。よく人は、移民を受け入れより良質な対応をと求める人間を左翼だの非国民だのと言うが、左翼にそんな力があるわけではない。積極的に移民の受け入れを要求するのは、より安い労働力を確保したい資本の側の要請であって、移民問題の実は、資本とナショナリズムの対立と妥協なのである。左翼は、その猿回しをやっているにすぎない。
 
 80年代、当時の中曽根首相の大量の中国人の受け入れ時に来日したある「偉」氏は、街で散々ぱら日本人に差別された末に、先に書いたように念願の日本人女性を「売春婦」として雇うほどに「偉」くなった。100年以上、左翼が実現できなかったインターナショナリズムは、街の底で、確実に資本の論理と共に成長している。
 
 
 
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専門化力。

 先日、月刊誌『サイゾー』編集部で社長になっていた揖斐さんとお話した。揖斐さん、社長になっていたのです。私がライターになったばかりの時からお世話になっていた人なのですが、いやはや、メールの出し方から、取材のしかた、ヤバイ人との距離の取り方などいろいろ教えてもらったことを思い出す。イケメンで草食系なのに、なにか突然グサッと意地悪なことを言う御人です。「青年実業家じゃないですか!」。社長になっていた……。

 雑誌業界のこと、いろいろ話を聞いた。厳しい状況の中、弱冠35歳で出版社社長に就任、編集長時代とは、やはり違う感じになったように思った。「雑誌は編集長のモノ」とはよく言われるが、経営の全責任を持つ編集長兼社長のプレッシャーは並み大抵のものではないはずだ。ネット版『サイゾー』と合わせて社員約20人を食わせているわけだ。素直に凄いなぁと感じ入ってしまった。

 しかし、原稿料が……。とはいえ、現況を聞いていると、それも致し方ないように思われてしまう。もはや、原稿は売る時代から買う時代へ、みたいなことになっているのかもしれない。状況認識を新たにした次第です。

 大資本のローラーブレードに対して、小資本がいかに対抗するか。圧倒的な単一化圧力に抗しうるバラエティとは何か、よく考える。たとえばお店の経営にしてもそうだ。ビール一杯50円で出す店があるという。これはもちろん儲け度外視である。目的は何か? 周辺店の駆逐である。こんな値段設定に勝てるわけがなく、かくして街は単一化してしまう。私は薬屋の息子だが、廃業の原因の一つは、巨大ドラッグストアの出現だと思っている。生き残りのための多様化、専門化は必須であり、またますます先鋭化していく。

 今、街にはさまざまなコンセプト系のお店がある。しかし少し注意深く見ればすぐに分かることだが、2,3年でつぶれてしまうのがほとんだ。その倒産率は極めて高く、要は、時間をかけて貯めこんだ金と体力を、その期間に食いつぶすことになってしまっているわけだ。「やりたいこと」「夢」の多くの残骸は、やはり無残である。潰してしまってもまだ「やりたいこと」をやれる、それだけでも今は、まだ余裕があるということかもしれないが、とにかく継続することはとても難しい。重要なのは、継続である。もちろん無理をしても仕方がないが、無理せず継続させる発想力がなければ、生き残りは不可能なのだ。

 少し前、映画のプロデューサーM氏と構成作家O氏と酒を飲んだが、彼らもまた「やりたいこと」しかやらない(やれない)人たちだった。彼らと深酒しまくってしまったが、「死んでもいい!」を連呼するの見て、ああ、この人たち死ぬな、と思った。でも、ある意味清々しい。

 昔、全共闘だったか「一点突破、全面展開」という言葉が流行った。戦術的な意味合いで、古ぼけた左翼おじさんがこれを言うと、もう首を絞めたくなるが、考えようによってはこれは悪くない言葉だと、私はずっと思っていた。「そぎ落とす」こと。地味で迂遠に見えるかもしれないが、案外これが近道だったのではないかと思う。オンリーワンの専門化力。いつの間にかPHP出版みたいなことを書いてしまっているが、そういうことなんだろうと思う。

 出版社の今年のボーナスは、大手を含めてその多くが大幅削減と聞く。その中で、私のよく知るある中堅出版社は、7カ月分の支給だったと聞いた。高い商品価値を維持できたということを示している。厳しいが、不況は自分の力の現状を強制的にかつ冷徹に見つめさせてくれる。自分はいかにすべきか、暮れも押し迫っている中、考え込んでいる。

  

 









う~む、の毎日。

 不況風が吹いている出版界も、今は年末進行まっただ中。各出版社は猫の手も借りたいほど忙しいらしく、猫よりも少しは丈夫にできているだろう私のところにもいろいろと仕事が舞い込んできている。当ブログがあまり更新されないからといって、書くべきことがないわけではなく、いろんなネタがたくさん集まってきているのだが、各方面に対する仁義上、記事が掲載されないとここで書くわけにはいかないのがもどかしい。 

 それはそうと昨日、私が経営しているお店に、ノンフィクションライターの石井光太氏が来店した。さすがに売れっ子らしく、講談社、小学館、集英社の編集者を引き連れての御登場で、またとかく重くなりがちなインドの貧民窟の実情のルポを、そのしぶとさたくましさを爽やかな筆致で描出する筆力に似て、石井氏、とにかく豪快なお人柄であった。その性格の悪さは折り紙つきの(これは褒め言葉)講談社の編集者I君との相性も抜群のようで、早晩激しく喧嘩でもしろや、と私は意地汚い思いに沈みました。その筆力は当然のこと、石井氏は、貧乏性が併発するノンフィクションの書き手の中で、珍しくビジネスセンスに優れた人物だという。まさか霞を食って生きることはできないわけで、良い仕事の為にさまざまな手法を駆使する彼の話は、正直為になる。そして、ちょっぴり羨ましくもある。33歳という同い年で「あ、やっぱり意識するのね」なんて編集者に嫌味を言われたりしたが、謙虚に学ぶべきところは学びたいと思った。
 
 で、(その正反対にある)お金について。今、あるブラックジャーナリズムについて取材している。ブラックな世界について書く業界なので、この種の話は業病のようなもの、ではあるのだが、非常識な多額の利益供与を受けて「正義のジャーナリズムでござい!」はあまりにも酷過ぎる。なんともうんざりゲンナリながら、渡世の義理上、書くハメになりそうだ。

 私は個人的に、ブラックな人たちとの関係とはハードボイルドなものと考えている。金を含めた利益供与をホイホイ受けるものとは対極のもので、それは単なる「甘え」や「依存」である。やたら「綺麗事だけではやっていけない」などと言う輩もいるが、それはあくまでも我々が取材する側の言葉であって、我々にあっては禁忌(タブー)の領域である。頻繁に踏み越えてしまう禁忌など語義矛盾であり、そのような安直な「言い訳」は、表現者として許される範疇にないはずだ。自分に対しても厳しい言い方になるが、石井氏のように自前の経済基盤を作れてこそのジャーナリズムでありノンフィクションであるわけで、それすら作れない奴に、ハードボイルドが務まるわけがあるまいて。

 それと、この種のブラック話に関しての、私の同世代の若い連中の規範意識の低さにも、正直うんざりしている。「みなやってるから、当たり前」なのか、昨今進行中のカタギとヤクザの境界線のあいまい化とでもいうべき社会現象が、もちろん私の見える範囲という限定付きではあるのだが、目に余る。「お手軽」で「おいしく」かつ「かっこいい」とでも思っているのか、偏差値がちょっぴり高いくらいで蒙古班の取れていないチンピラフィクサー気取りは、本気で「死んでもいい」と思っている金筋の闇社会の人間から回復不能なダメージを受けることになるだろう。

 やめとけ、と思う。闇に行くにはその人なりののっぴきならない理由がある。これは断じて「お手軽」で「かっこいい」というレベルの世界ではない。

 しかし、とも思う。昨今の事件、およびそのアクターたちの多くは、貧困と差別といった永山則夫型よりも、「光クラブ事件」の山崎晃嗣タイプになっていると言える。正確には、その混合なのだろうが、ある種の山崎もどきの懊悩が、この現代日本の若い世代の一部の中で現象してしまっているのかもしれない。日本の闇社会は、ぐらついているとはいえ、その主人公が依然ヤクザであることは、ほとんどのジャーナリストの一致する見解だろう。その闇の牙城に、突っ込んでは破滅していく彼ら山崎もどき達に、その表現形態は異にするが、一抹の共感が私に無いわけではない。そしてまた、しかし、と思う……。

 だいぶ話は大きくなる。世界が変更していくことに、是とみるか、否とみるか。世界を過去に見るか、未来に見るか。そういった世界観の違いが、現状の理解を同じくする人間たちの行動の分かれ道となるのではなかろうか。これは、過去にあった進歩派、保守派といったレベルではないところでの、高度に発展した科学技術と多様に開花したカルチャーの先端の国日本で、少しは目端の利く若者たちの、のっぴきならない懊悩なのかもしれない。(絶対的な)貧困と差別を克服しつつあるかに見える日本で、新たに現れたアクターたちの現在を書くのが、私の仕事の一つだろうとも思う。

 そして、身の丈に合ったチンケな話に戻る。やっとお店の経営が赤字ラインを越えられそうだ。今後は、とある新宿ゴールデン街のアナーキスト系のお店の実質的経営にも参画しそうで、なんちゅうのか、極めてしょっぱい「ホールディングス」を形成しつつある。前出石井氏のような「電博型」には到底敵いそうにないが、今は我が世の春を謳歌する民主政権の来るべき大崩壊の後を見据えた、夢のある(夢はあるのだが実がね……)企画も営為進行中である。徹底したリアリズムを基礎にした、オルタナティブな事業といったものを、来年早々には報告できるかと思います。 

 今年も残りあと僅か。皆様、お身体には十分お気をつけ、ラストスパートを楽しんでくださいませぇ。


プロフィール

小野登志郎

Author:小野登志郎
職業 ノンフィクション・ライター。ハードボイルドに疲れてきた三十路後半男。枯れていくばかりの人生を楽しむことにします。

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