スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

東方神起じゃない話です((苦)。

 以前書いた記事に加筆修正。なんだか貼り付けたくなった。
 
 骨休め、……にはなりませんが、いろんな意味でクールダウンを。

 東方神起とJYJのファンの方々は刺激が強いかもしれないので、なにとぞスル―を。

 極道ライターから足を洗おうと思ったら、K-POPもまた修羅場だった……(苦)。

 天国と地獄は近いなぁと。ハイ。

 どこまで続くぬかるみぞ……。



■新宿歌舞伎町のアイと奈々

 2010年の7月、深夜2時を過ぎた歌舞伎町を一人で歩いていると、若い白人男性に声を掛けられた。アジアや中東、南米、アフリカ系といった人種、国籍が入り混じる新宿歌舞伎町とはいえ、白人の客引きはさすがに珍しい。

 立ち止り「ジャック」と名乗る彼の話を聞くと、片言の日本語でCDとフライヤーを手渡された。どうやら彼は客引きではなく、フリーのミュージシャンか何かなのだろう。

「ボストンから来た」

 と言う。そして「アーユー・ヤンキースファン? ファック!」と言いながら、ヤンキースの帽子をかぶっていた私をからかっている。

「(レッドソックスの松坂)ダイスケは、来年はヤルよ」

 と言い、CDのお礼に千円札を一枚手渡し別れたが、変なアメリカ人だった。プアーホワイトがアメリカにはたくさんいると聞くが、アメリカに愛想を尽かした白人たちが、中国人や黒人たちに混じってこの街でキャッチをする時代も、そう遠くない将来にいずれ来るのかもしれない。

 その後新宿ゴールデン街の店「P」に行くと、客が多く席は一つしか空いてない。仕方なく小さくなりながら、先ほどの白人男性「ジャック」の話をママにして20分ほどで店を出た。いつもの二千円を差し出し店を出ようとすると「あまり相手できなかったから」と千円を返された。この店で最後に会った「アイ」という元ストリッパーの女が、心臓麻痺で死んだと聞いたのが2010年の5月だった。

 アイは一人寂しく死に、発見されたのはその二週間後だった。連絡が付かず心配になった友人がマンションの管理人に連絡し、部屋の中に入るとアイはバスルームの中で、変わり果てていた。

 広島県で生まれたアイが、10代の頃より付き合っていたのがヤクザであり、そのヤクザは殺人で服役していると噂で聞いたことがある。ある時30代も後半にさしかかったアイは、ゴールデン街で店を経営している男から、結婚を勧められたと私に話した。その相手は新宿をシマとするヤクザ関係の人間だった。

「ヤクザはもう、こりごり」

 とアイは言い、その話は無かったことになった。そのアイが、生前少しの間勤めていた歌舞伎町の中国人クラブが「M」である。

「なんで中国人の店で働かなくちゃいけないの。ここは日本、歌舞伎町だっちゅうの」

 アイが毒づいた「ここは歌舞伎町だっちゅうの」……、この言葉がしばらく私の耳から離れなかった。

 アイはそう言っていたが、「M」のオーナーである帰化中国人のAは、日本人ホステスを店に雇うことに熱心だった。かつて日本の男たちが中国の女たちを買いに出掛けたように、今は中国の男たちが大挙して日本の若い女たちを抱きにきている。

 アイが死んだ一カ月後、中国人クラブ「M」に行くと、中国人ホステスに混じってクラブで働いている日本人ホステス「サトミ」のことを知った。彼女は、アイとの思い出をわたしに語ってくれた。

「アイはね、いい女だったよ。彼女とは何回もお酒を飲みに行ったな。私が泣きながら彼女が働く店に言ったこともある。ヤクザと結婚する話? それは聞いてなかったけど、彼女にはいろいろあったからね。この店は中国人が経営しているけど、別に悪い人が来てるわけじゃないし、お客さんは日本人ばかり。誰に対しても明るかったアイが今も生きていれば、この店のチーママになっていたんじゃないかなぁ」

 アイの携帯電話の番号は今も残っている。私は彼女の葬式に行かなかった。

 目を瞑る。そうすれば何も見えない、闇になる。

 何も見えない中を歩くことは困難だ。闇社会とは、目を瞑った世界なのではないか、そう思うことがある。そしてまた、闇社会の住人と呼ばれるヤクザや不良中国人たちもまた、実は何も見えていないのではないだろうか。

 目を瞑る。彼ら彼女らは漆黒の中を闇雲に練り歩いているだけなのではないだろうか。生前のアイとの最後の会話は「幼児虐待している若い母親の知り合い、いない?」だった。

「知らない知らない、でも、私の周りに誰かいるかもしれないね。聞いてみるわ。それでね……」

 雑誌の取材で忙しかった私は、なおも話をしたそうな彼女の電話を早々と切った。アイは、二時間以上電話で話し続けることもあったからだ。その数週間後、彼女は独り寂しくこの世を去ることになる。

 アイは、友人であり中国人クラブ「M」の日本人ホステスでもあるサトミと、「M」オーナーのAと3人で、頻繁に朝方の歌舞伎町で酒を飲んでいた。Aはこの街だけでなく、上海と台湾台北に、日本料理店と高級クラブを一つずつ経営していた。彼は歌舞伎町で成功した数少ない中国人の一人だ。

「21歳の時に日本に来て20年になる。悪い中国人はほとんど皆、逮捕されるか中国に帰った。私は商売を真面目にやってきたから生き残れた」

 Aは新宿、上海、台北を飛び回る多忙な毎日を送っている。成功した彼の周りには、有象無象の日本人や中国人が集まってくる。しかしAは相手にしない。「ヤクザやマフィアの時代は終わった」と言い、仕事に精を出している。

 日本の街は、日本人と中国人の混合、混成が急速に進んでいた。

 2010年8月のとある深夜、東京大久保の中華料理店に一人わたしはいた。ある不良中国人から話を聞くため呼びだされた場所だった。相手はまだ来ていない。

 周りは中国人だらけ。そこへ、キャバクラ嬢と思しき日本人女が男を連れてわたしの隣に座った。

「周りは中国人だらけだね。日本人は私だけみたい」

 隣に一人だけ日本人の私がいる。どう反応していいものやら。もしかして姿形も中国人化してきたのだろうかと自分の身体を見まわす。

「中国語を3ヶ月間だけ勉強したんだよね。でも全然分からない」

 専門学校か何かに通っているのだろう。わたしはその時、女のことを思いだした。この女は、歌舞伎町の中国人首領の一人Bが経営するデートクラブ「R」で出会った日本人売春婦だ。この時から半年以上前のことだった。

「中国人ってウザくない。なんかアメリカの方が良くない?」

 不貞腐れたようにこう言っていた女。一人寂しく死んだ元ストリッパーのアイに、少しだけ似ている。彼女の言葉。

「ここは歌舞伎町、日本だっちゅうの――」。

 アイとは違うはずの彼女は、中国人に雇われている日本人売春婦、名前は確か奈々だ。

 彼女は私のことを覚えていないらしい。そして30分くらいしただろうか、勢いよくドアを開け店に入ってきた不良中国人に「ああ、小野サン、ひさしぶり」と声をかけられ、私はかなりうろたえた。奈々に私が日本人とバレてしまったからだ。その場の空気に合わせて、何故か下手くそな日本語を喋ろうとする。

「日本人いたんだ、ウケる!」

 ピンクのケバケバしいキャミソールを着たエロい女、奈々がけたたましく笑う。どうして良いのか分からない。奈々は食事をした後、ほどなくして連れてきた男と共にホテルに消えた。

 日が改まった午前2時、奈々は友人の日本人売春婦を三人連れて戻ってきた。その場にいた若い中国人に向かって、

「あなたは中国人顔、あなたは日本人顔」

 と国籍を分ける三人の日本人売春婦、奈々。どうやら格好良いのは日本人、その他が中国人という基準らしい。

 この時わたしは中学生の頃、腕っ節が強く意地の悪かった一人の同級生に「おい、キム!」と呼ばれた過去を思い出した。

 世の中に在日差別があることを明確には理解していなかったが、彼がこの名称に、酷い侮蔑の意味を持たせていることだけは理解できた。この屈辱感が、身体的特徴に違いの無い中国人と韓国・朝鮮人、そして日本人の分断を考えるきっかけだったように思う。

「父親から、絶対に朝鮮人の血が流れていることを周りに話すな」

 と言われて育った在日朝鮮人の友人に、直接この話をすることは今もできない。

 中国人クラブなどで「あなたは中国人かと思ってた」と言われることも多くなったが、日本語しか満足に話せないわたしは、今は「フランス人だ」と答えるようになった。

 日本人売春婦の一人が金持ちと思しき中国人にひたすら媚びている。そしておもむろに手を突き出し手のひらを見せた。一分以上もの間、中国人の男に手を突き出し続け、そしてタクシー代5千円をむしり取った。たくましく、ふてぶてしい。

 その姿を見て中国人男が私に言った。

「日本人の売春婦はまだマシだ。中国人売春婦は、財布の中身を勝手に抜き取るからね」

 そして大笑いした。中国人男たちに買われもしなかった日本人売春婦三人。その女たちに相手にもされなかった「中国人顔」のわたし。

 厚化粧をし、見るからに精神不安定な女に名前を聞く。

「ユカリ。ヤル? 三万。ちょうだい」

 とろんとした眼で、またも手を突き出しそう言う。商売にならないと踏んだ奈々は、彼女たちを引き連れ店を後にした。

――――


 日本人コールガールの奈々と初めて会った日は、新宿歌舞伎町を根城とする首領のBが、「風営法違反」の容疑で逮捕、そして釈放された直後の、2009年の12月27日のことだった。Bが経営するデートクラブ「R」に彼女はいた。

 日本に存在する「中国人マフィア」と呼ばれる人間の中には、「偉(ウエィ)」という尊称を自称、他称している者らがいる。代表的で有名なのは「大偉(ダーウェイ」「小偉(シャオウェイ)」だが、他にも一頭地出た人物がこの称号を名乗っており、Bもその系列にある。

「中国人マフィア」と呼ばれる人間たちは、普段お互いを通称で呼び合っている。それに加えて中国名の本名もあり、帰化していれば日本人名もある。更には偽造のパスポート、身分証を持っていたりする場合も考えられる。

 そんな彼らの顔と名前を特定する「人定」は困難を極めた。日本のヤクザの中にも本名の他に、稼業名を名乗る者もいる。また新左翼セクトはお互いをコードネームで呼び合うが、中国人社会に比べれば、これらはあくまでも人工的なものに見えた。中国人の場合、この通称、あだ名で呼び合うことが、一般社会でも良くあることだというから、年季が違うのだ。日本とは比べ物にならない圧政下にある民衆の知恵、サバイバル術の初歩なのだろう。自分の存在を一度消し、そして違う自分の存在を再び浮かび上がらせ、磨き光らせる。彼らの通称に「偉」や「龍」が付くことが多いのは、そういう意味が込められている。

 わたしが知っている限り歌舞伎町や関東近県に存在している「偉」氏は何人かいるが、新宿で逮捕されたBは、21日間の拘留の後釈放された。そのBが実質的にオーナーを務める中国人デートクラブ、いわゆる違法売春クラブに、日本人の女性が数人在籍していた。客層は深夜にもなると日中の闇社会の人間で溢れかえる。店の一人の日本の女がつぶやいた。

「来年は、日本は追い抜かれて中国が世界第二位になるんだよね」

 この女が奈々だった。

 中国の経済成長の伸長を物語っているかのように、街に出入りする中国人の鼻息は年々荒くなっていた。豪傑然と見せ、やたら大声を張り上げる中国人のグループを指して、奈々は「なんか、中国よりもアメリカの方が良くない?」と言った。

「中国人の店で働くんだから中国語はできるの?」

 と私が聞くと、現在の中国の威勢を文字通り心身でもって対峙している奈々は、

「中国語はできない。なんで喋れる必要があるの? ウケる」

 と言い、店にいる他の中国人女子とのつばぜり合いの隠微な模様を詳細に説明してくれた。
 
 街の底の片隅から湧きあがるナショナルな精神の覚醒。と言えば大げさかもしれないが、今、そして今後我々の多くが直面するであろう、新たな超大国との荒々しいコミュニケーションをある肌寒さと共に感じていた。

 Bを始めとした大量の中国人たちは、日本の労働力を担うべく実質的に移民として日本に入国していた。

 よく人は、移民を受け入れより良質な対応をと求める人間を左翼だの非国民だのと言うが、積極的に移民の受け入れを要求するのは、より安い労働力を確保したい日本の経済界、資本の側の要請であって、移民問題の実は、資本とナショナリズムの対立と妥協だった。

 80年代、当時の中曽根康弘首相の大量の中国人の受け入れ時に来日したことになるBは、街で散々ぱら日本人にコケにされ差別された末に、先に書いたように念願の日本人女性奈々らを「売春婦」として雇うほどに「偉」くなっていた。

 奈々と次に会ったのは2010年の9月、蒸し暑い深夜のことだった。

 午前三時、行きつけの中華料理屋に行くとシャッターが閉まっている。しかし、中からは複数の男女の声がする。日本語と中国語だ。

 何かやってるなと思い、店長に電話を入れる。出てきた声は、かなり泥酔した声だ。

 シャッターを開けてもらい中に入ると、ピンクのティーバックのパンティとブラジャーを付けた日本人の女が、複数の中国人たちの中央で踊っている。女は奈々だった。

 この時、中国人の男たちの中に「政府関係者」がいた。軍人出身の政治家Cは、80年代に来日し数々の辛酸を舐めながら成長し、とある日本の銀行の娘と出会い結婚、ほどなくして女児をもうけている。

 中国共産党員ではないが在日華僑代表として権勢をふるう、紛れもない富豪中国人の一人である。奥の部屋で身繕いをした後だったのだろう、彼がわたしの前に現れた時、見るからに高級と分かる背広を羽織りながら、晴れ晴れとした顔で「オハヨウ」と言った。

「あの人は勃たなかった。緊張していたんだろう。歳だしね」

 後に、このパーティに参加していた別の中国人が教えてくれた。

 権勢と金力、そして絶倫の中国人たちを向こうに回す歌舞伎町の女無頼、日本人高級コールガール奈々。

 彼女は2010年8月下旬、上海万博に一人で行き、その地で中国の政府関係者や財界の人間と逢瀬を重ね、ひと稼ぎした。そのコーディネートを行ったのは、もちろん歌舞伎町のある帰化中国人の斡旋である。その後も彼女は、台湾、香港、深セン、上海、北京を周り、更には中国奥地へも売春の旅を続けている。奈々は、自身の身体だけでなく、他の日本人売春婦をも使い、富裕中国人を客とするネットワークを広げていった。

 そんな奈々がヘルプとして働く歌舞伎町の中国人売春クラブ「A」では、毎日のように新しい「商品」が入荷されていた。

「この子は歌舞伎町ではまだ処女ですよ。上海出身の20歳、名前は、『未来』と言います」

 年増の中国人女に紹介された「歌舞伎町の未来」は、解けることのない緊張を何とかほぐしながら、そのあどけない表情にほほ笑みを浮かべた。

 生活の為、見知らぬ男のいきり立ったペニスを咥えた後、自分の四肢の中心にある小さな裂け目に受け入れる売春婦たちを、異性である自分にはできないという意味において、ある種の敬意に似た感情を覚える。

 しかし、原理的に拒絶できない性をフルに活用し生きる彼女らの、その商行為が、単なる拝金に堕した時、または金以外の何物でも無いと愚かにも理解できた時、彼女らへの敬意と欲情は、侮蔑へと一気に逆転してしまう。

 女の身体を金で買う男にとって、ただ無為に沸き立ち吐き出すだけの性欲が満たされれば、側に横たわる不必要になった女の性的肉体から分泌される香気は、まるで獣じみた臭気となって彼我の周りに充満し、それは遺棄された屍体のようにただの肉片と化す。

 この男の身勝手な自己嫌悪を敏感に察知し、それを横目で眺める売春婦の醒めた視線が、性的肉体と金の交換でしかない男女関係のグロテスクさを否応なく際立たせる。歌舞伎町の「未来」が見せるこの乾いた真実を、今までにいったい幾人の男たちが味わったことだろう。

 中国大陸に出稼ぎに行く日本人コールガールの奈々や、無数の新宿歌舞伎町の「未来」たちを眺めながら、わたしは、一人寂しく死んだアイのストリップを想像していた。

 ついぞ彼女の裸体を見ることは無かったが、ヤクザや不良中国人たちが隠微に争う夜の街で、自分の身一つで堂々と闊歩する売春婦の奈々や歌舞伎町の未来たちの姿が、何故か死んだアイとダブって仕方がなかった……。
 
――――


 新宿歌舞伎町で力強く生きるアバズレたち。
 
 そんな女たちを金で買い、もしくは搾取して生きる男たち。

 そんな人々のことを時々書いて、小銭に換えるわたし。

 静かな幸せが訪れるのはいつの日か。とにもかくにも、要らぬ争いは、ただただ要らぬのでありまする……。

 
スポンサーサイト

出版祝い。

 震災復興に首相交代、シンスケ爆発の最中、まことに不謹慎ですが下記やります。濃ゆい会になりますが、奇特にも参加希望の方は、わたし宛てメールに身分など明記した上、拙著購入持参でお願いいたします。


「皆さま!

 9月2日に、わたし小野登志郎の新刊『アウトロー刑事の人に言えないテクニック』が洋泉社から発売されます。ヤクザやマフィア、詐欺師、そして刑事たち……。なんとも言えない連中を長らく取材してきた一つの成果とも言える作品であります。なにとぞ手にとってご笑覧いただければ幸いであります。

 つきましては、ささやかながら拙著出版の祝いを開きたく思っております。お忙しいなかまことに恐縮ですが、ご参席いただきますこと、よろしくお願いする次第であります。

■日時 9月7日(水曜日) 22時より(開場21時)午前1時頃まで
■場所 「湖南菜館」(新宿区歌舞伎町1-23-13 4F)
 
 わたし小野は、今35歳。数年ほど前までは、なんとか自分の人生というものをきちんと筋道立てて説明することができたように思います。しかし、今はどうでしょう。さまざまなことがあり、複雑でいわく了解、納得し難い出来事にも多々遭遇し、時に自分というものを把握できなくなってしまう場合もあったりもします。それは、とても恐ろしいことです。そういった場合に、皆さまからのご意見、ご批判というものが、とても有難く感じるのであります。
 
 刀折れ、矢尽きるとも、前に前に……。そういった単線的な突撃精神は、今は、少しだけ減退したかに思います。しかしその反面、物事を静かに見つめ、他人との付き合いを、大事に大事にゆっくり温めていくことを覚えてきた面もあるのではないか、とも思います。変化、というものは確かに在るのだ、ということをわたしは感じております。

 皆さま! もう既に、わたし小野は四捨五入してアラフォーとなったとはいえ、まだまだ勝負は始まったばかりであります。これからも、やるべきことを、ただただやり抜いていこうと考えております。

 皆さまのご支援、ご厚情に改めて感謝いたします。そしてこの会にて、皆さまと一緒に来し方行く末について、酒を飲み交わしながら、じっくりと語り合いたいと思っております。
 
 皆さま! 結集のほど、よろしくお願いいたします!
 
                              小野登志郎 拝」

 



アウトロー刑事の人に言えないテクニックアウトロー刑事の人に言えないテクニック
(2011/09/02)
小野 登志郎

商品詳細を見る



街の利権。

 以前書いた原稿にちょいと手を加えたものを掲載。なんだか最近怒羅権のことを、ただ羅列しているだけだから。問題が発生したら即削除します……。


◆「シマ(縄張り)」の価値

 かつて、中国語で「大亨」は大親分を指し、また上海語の「老頭子」は、高齢の男性という意味の他に、隠語でマフィアのボスを指していた。1980年代の後半以降、大亨や老頭子に率いられた中国人マフィアと呼ばれる者たちが、不法入国、不法滞在という形で我が国に本格的に侵入してきた。それは1990年代後半に最盛期を迎え、日本のヤクザや警察と熾烈な争いを繰り広げた。

 今は大陸中国や台湾、香港の大親分たちは皆帰っていった。今、日本の街でしのぎを削っている中国人は、帰化した者、永住権を持つ者、そして怒羅権たちである。

 彼らは街の「縄張り(シマ)」を巡って日夜争っている。ちょっとした喧嘩や抗争にも、その背景の実には、さまざまな利権の「匂い」がつきまとっている。新聞やテレビの報道からは分からないかもしれないが、これは「動的」であり、「劇的」である。

 しかし、その「シマの価値」とは、いったい何なのだろうか? 彼らに関する取材を進めていくうちに、その全貌がやっと明らかになってきた。
  
 まずは街のストリートに配置する客引き(キャッチ)の利権である。その一帯を仕切っている不良中国人グループ・リーダーに中国人客引き一人が月6万円を支払って商売をする。例えば10人配置すれば月60万円となり、その客引きがカモとなる客を連れ込むのが中国人クラブや違法売春クラブである。リーダーは決して表に現れないが中国人クラブや売春クラブの実質的なオーナーとなっており、客引きの利権を持っていればそれだけ客を増やすことができる。宣伝はおろか看板を出すこともできない違法売春クラブにとっては、街を浮遊するカモ(客)とネギ(財布)を捕らえてくる客引きを、いかに仕切るかがその商売の浮沈を左右する。中国の他の地域出身、例えば福建や台湾系の売春クラブも客引きがあってこその商売だ。客引きを仕切る顔役への挨拶無しでは商売は成り立たない。

 そして例えば売春の場合、客は店の飲み代に一万円、連れ出しに3万円支払うことになる。売春する女の取り分は基本半分。不良中国人グループ・リーダーによっては、連れ込むホテルやレンタルルームを経営している場合もある。売春クラブの一日の来店客が50人だとすれば、一日の売り上げは優に百万円を超す。大雑把に諸経費を引いて純利益を50万円としても、一店舗だけで月1500万円の利益となる。

 もう少し詳しく見てみると、違法売春クラブの場合、飲み代の9割が客引きの取り分となる。だから、店側は、飲み代だけでは経営は成り立たない。客が女を買えば6千円がさらに客引きにバックされる。中間搾取される売春婦はもちろん、クラブを経営するママの旨味も実はそれほど多くはない。買われなかった女は報酬ゼロだ。街の客引きは、相手がどんなに横柄で傲慢な酔客だろうが「今夜、どうですか」と下手に出て、「シャチョウ、シャチョウ」と頭をペコペコと下げているが、彼らの中には月百万円を超える収入の人間もいる。優秀な客引きを抱えると、当然の事だがその店は潤う。また客引きは、儲けの10~30%をグループリーダーに上納する。そのことで客や、他の国籍のグループとのトラブル、もしくは警察の取り締まりから守ってもらう。

 日本のヤクザにも取り分がある。諸々の不良中国人グループ・リーダーがヤクザに支払うミカジメ料は、月三万円~5万円。ヤクザの取り分もまた意外に少ないと思うだろうが、これとは別に、店の花代、おしぼり代、レンタル絵画、飲食物などなど、様々な商いも発生するので、日本人客に手を出すなど自分たちのシノギの邪魔にならない限りは、ヤクザにとってそれほど悪い話にはならない。要するに不良中国人も日本のヤクザも、客引きと売春店のシステムを全て統括しなければ、大きく金を稼ぐことはできないということだ。

 また街には他にも裏のシノギがある。違法すれすれのエステやキャバクラ、そしてバカラやカジノ、裏スロットなどの違法賭博、加えて通称「赤玉」、中国人には「開心果」と呼ばれるエリミンなど脱法ドラッグ、さらには覚せい剤など各種違法ドラッグ売買の元締めである。いわゆる闇の三種の神器と呼ばれる「売春、賭博、違法薬物」の利権を手に入れることが、アンダーグラウンドの住人が目指す基本中の基本、そして最終目的ともなるビジネスマターなのである。

 その中から名実共に一頭地抜けた不良中国人の顔役には、もう一つ大きなシノギが舞い込んでくる。「地下銀行」である。日本に住む彼らは、為替差の存在する外国である大陸中国、台湾、香港に、膨大な家族や仲間を抱えている。一般の金融機関を経由することのできない違法に儲けた金は、手数料や金利をかさ上げして流通させる。この地下銀行の「頭取」ともなれば、黙っていても高利の利息や手数料が手に入る。もちろん中国で両替する場合、現地の銀行よりも、彼らの人的ネットワークによる地下銀行で両替する方が、間に資本や国家を挟まないだけにレートは高い。だから地下銀行は隆盛する。だが、もちろん日中両国を還流する地下マネーの正確な数字を把握することは、誰にもできない。

 さらに付け加えるならば、地下銀行は、マネーロンダリングにも活用できる。これには日本のヤクザだけでなく、闇金や詐欺などで得た金を洗浄したい闇紳士たちが我先にと群がってくる。これらもまたそれぞれに、日中両国の人間による周到で厳格な上下のシステムが存在する。

 今もまだ、日本人と中国人の「握手の、掌と掌のあいだには血が滲んでいる」(『上海にて』堀田善衛 集英社文庫)し、「その辛さが、日本と中国とのまじわりの根本」(同前)にある。

 この様々な闇の違法ビジネスの構成員は、数々の受難を引き受けながら末端の地位から這い上がり、少しでも上に行くことで搾取される率を下げ、そしていつかは搾取する率を上げる存在へと目指していく。このシステムの統括者こそが最大の受益者である。

 このシマの価値、具体的数字が、果たして高いのか安いのか。まともに生活している日本人にとっては、歌舞伎町で時に命を掛けてまで争う価値に見合うのか、という疑問も無くはない。しかし、歌舞伎町における違法ビジネスのシステム統括者には、先に上げた現実的な数字の他にも、更に大きな利益がもたらされる。

 それは「面子」である。日本語で「格、面目」と言い換えてもよい。少なくない中国人は、面子を命の次に大事にする。

 深夜の歌舞伎町には、日本だけでなく、中国、韓国など世界各国から多くの実力者が集まる。政界、財界、軍、官僚、そして黒社会。彼らが持ちこむのは、高級車やアパレル、デザイン関係の商談といった「チンケ」な話から、時に億を優に超える不動産やゴルフ場開発という表のビジネスの話まで、美味い「シノギ」の情報が、歌舞伎町の「顔」に集中することになる。例えば韓国や中国の財閥関係者は、日本の土地を買収する場合、日本の現地感情を考慮して、街の「顔」に相談に来る。「顔」は、間に別の日本人を入れる、いわゆる個人や法人を「ブリッジ」させることで、表向き外国資本に土地が買われていることを隠すことができる。もちろんこれとは逆に、日本の企業が凄まじいバブルに沸く中国に進出する場合にも、時に街の「顔」に相談に来ることがある。その全体なのか、一部なのかは知らないが、軍、警、官、そして財の中央にある中国共産党という巨大マフィアとコネクションを作るのに、まずは新宿歌舞伎町の中国人マフィアに相談するということは、ある種のビジネスマンにとっては、あながち間違った選択ではないだろう。これにもまた、必要経費としてバックマージンが「相談役」に少なくとも数百万単位で落とされる。街の不良中国人の一人は言う。

「顔役の周りには、日本と中国の経営者がたくさん集まっている。中には破産寸前や半ば詐欺師などろくでもない連中もいるが、きちんとした営業実態や技術を持つ企業経営者といった『カモ』も少なくない」

 金の集まるところに情報が集まり、情報が集まるところに金が集まる。そして金は商品となり、さらなる金を生み出していく。このように街の顔役には政商、ブローカーへの道が開けるのだ。「面子」は、単なるプライドのことだけではなく、膨大なマネーとして実体化し、彼をしてさらなる高みに登らせるチャンスとなるのである。事実、ある街の顔役は、日中の貿易に関わる企業経営者の顔を持っている。彼は高層マンションに住み、別荘も持つ。あるハーバーには自家用ヨットがある。大陸中国にある彼の動産、不動産についてはもはや記す必要はないだろう。

「顔役の実際の年収は、数億はあるだろう」

 とは、顔役のことを遠くから眺め羨む街の中国人の言葉である。とはいえ、表と裏のシノギを使い分ける顔役本人は、その資産の全容を、自身の家族を含めて誰一人として明かすことはないだろう。わたしにわかるのは、とにかくその資産が膨大なものだということだけだ。そしてその多くが、または元手が、新宿歌舞伎町から生み出されたものだということだ。

 歌舞伎町は網の目のように縄張りが張り巡らされている街だ。それは日本人にとっても同じで、大小異業たくさんの組、グループが入り乱れている。その中で不良中国人グループは、日本のヤクザとの長く激しい抗争の末、街での一定の自治権を得ることに成功した。街の底で確かに生きる日本人と中国人は言う。

「日本人のことは、日本人。中国人のことは中国人」。

 この日本人と中国人の「血が滲んだ握手」は、時間が経過するほどに乾き固くなっていった。

 
 不良中国人、日本のヤクザ、そして警察……。もう、バカみたいに取材した記録がある。そんな彼らのくんずほぐれつのノンフィクションを最近書いているのだが、いかんせん、商業的ではないので困っている。ネットに無料公開しようと思っているのだが、果たしてこれはどうなんだろう……。

 利権の恩恵にあずかっているわけでもなく、かといってそれを追いかける刑事でもない。なんだか半分以上、「犯罪インフラのボランティア調査員」みたいな感じになってきた。そろそろ「商業ライター」として軌道修正しようと思う今日このころです。

 

いら立ち。

 深夜、都内の街はいら立ちと不穏さを増してきているような気がする。昨夜、酷い目に遭った。

 ダークグレーのスーツを着た、がっちりとした体形の40絡みの男は、店に入ってきた時にはすでに、まっすぐに歩けないくらい泥酔していた。友人と思しき男を一人従え、席に着くなりごろんと横になり、店内にいた私と中国人店長に向かって中国語と日本語でしきりに悪態をつく。店長は笑いながらそれを受け流していた。

「どうぞどうぞ。日本人になりやがって。勝手にやれよ、ああ、ハイハイ」

 などと、意味不明な言葉を私にも投げかけ挑発してくる。2011年3月23日、東日本大地震が襲った後の新宿歌舞伎町、深夜2時のことだった。

「おい、俺は、オマエがオムツしていた時からこの街と店長のことは、よく知ってるんだよ!」

 男が怒鳴り、側にいた連れがあわてて口を抑える。10秒ほど、私はじっくりと考え込んだ。ん、何だ、これは。しかし、この度重なる無礼な言動に対し、抗議の一つもしたくなった。男の顔を見て、言った。

「そのオムツをしていたオマエとは、もしかして私のことですか?」

 その瞬間である。「そうだよ!」と怒鳴るや、いきなり男は持っていたグラスを私に向けて投げ付けた。距離にして4メートルほどだったか。グラスは、私の左目の少し上のところに、ゴチャッという鈍い音と共に――私にはそう聞こえた――命中し割れた。破片と水しぶきが私の顔と服に飛び散った。そして男はなおも猛り立ち、ガラス製の灰皿を自分の頭の上に持ち上げると、目の前にあるテーブルに思いっきりぶつけ叩き割った。

「これでオマエの頭、殴りつけてやる!」

 怒りと怖れがない交ぜになり打ち震える手で、私は、顔や服に付いた水しぶきを払いながら、相手の男を睨みつけた。イッタイ、ナンナンダ、コレハ。連れの男も身構え私の出方を窺っている。あまりの出来事に店長が驚き慌て、グラスをもろに受けた私の顔におしぼりを当てている。

「ほら、かかってこいよ。ここは、歌舞伎町だろ、ええ。警察呼んでいいよ。おい、どうなんだ!」

 さらに挑発する男と、それをニヤニヤとしながら横目で見やる連れの男。グラスをもろに受けるとは、反射神経にかなり問題があるな。あれが拳銃だったら、一発で仕留められているな。増幅する怒りと屈辱の中、衝撃を受けたはずの私の半分の頭は、それなりに冷静に状況を分析していた。

「ああ、ハイハイ、ごめんなさい、悪かったです。ハイハイ、ごめんなさいねえ。ほら、いつでも来いよ!」

 不良中国人の取材を初めて十年以上が経つ。脅しを受けたり嘲笑や口汚い罵りを受けたりなど、この間、様々な出来事を経験してきたが、この世界にある微妙な間合いというものを、それなりに体得しているつもりだった。しかし、目の前にいる男には、それが全く通用しない。そしてなにより、「彼ら」との付き合いの中で、これまでで最も不快な思いであり、味わったことのない複雑な感触だった。

「オレは日本人だよ。中国東北部出身で帰化したんだよ。なんか文句あるか」

 グラスを投げつける前、男はそう言った。

「地震や原発の不安で皆が帰国する中、今も日本に残っているとは大変ですね」

 仕方なく、私はそう答えたと思う。男は初めからかなり酔っ払っていた。この店に来る前にも喧嘩沙汰を起こし、トイレの中で店員の頭を便器の中に突っ込んでいたという。誰でもいいから絡んでやる、そう思っていたことに間違いはなかった。

 しかし、この僅かな会話のどこかに、何か彼の琴線に触れるものがあったのではないか。稚拙で荒っぽい彼の怒りの表出の仕方に、日本と中国の暗くて深い溝を感じ、また、不思議なことに彼の姿から、ある既視感めいたものを覚えてもいた。幸い目立った外傷は無かった。男を睨み据えながら怒りを感じ、そしてその怒りを考えていた。

 店長が、なおもいきり立つ男を必死に止めている。「ごめんなさいね、ごめんなさいよ」とふざけた口調で言いつつ、私と彼らの間に二人の店員が壁を作る中、ようやく二人の男は席を立ち、店を去っていった。

「中国の女はどこに行った? 女を買える店はどこだ。売春女はどこにいる!」

 そう喚き散らす男の姿は、まさに下劣の極北だった。
 
 被災地の悲惨な状況が伝えられ首都圏では計画停電が続く中、不謹慎にも深夜の街をさまよう私が出会うのは、こういった連中なのだ。私にとっての中国と日本が彼らであり、彼らこそが、私が「求め」ている日本と中国なのだ。

 そう思いつつ落ち着きを取り戻そうと、私は店長に男の素性を聞いた。男は、日本の高級ホテルグループPの中国観光客部門の室長であるという。連れの男もまた東北部の出身で、朝鮮族の中国人だった。日本語が上手く日本人に帰化した男に、年を追う毎に裕福になる中国の観光客を誘致する役割をあてがったのだろう。しかし、地震が起き観光客どころか、日本中の中国人の多くが、この国から雲の子を散らすようにして逃げ去った。客がいなくなった男の仕事は滞り、翌日から被災地へとボランティアに駆り出される予定だと言う。憤懣と苛立ちを募らせていたわけだ。

 そしてどうやら、7年ほど前、この男と私は、歌舞伎町の中国人クラブで一度出会っていたようだ。男はある街の中国人グループの顔役と共に、その場にいたという。街で違法ドラッグか何かを売りさばいていたゴロツキだった男は、今や日本の高級ホテルの中国人担当部室長となり、来日する中国政府の要人や大使館員の窓口になるなど、「出世」していた。

「中国人客だけに依存していたから、中国人が日本に来なくなると、もう終わり。彼は帰化して日本人になり会社勤めだから、中国には帰りづらい。でも、今の仕事の中身は中国人依存症みたいなもの。覚せい剤もそうだけど、何でも依存しちゃダメだよね」

 男のことを知る街の不良中国人はそう言い、嗤った。怒りと屈辱を抱えた私の腹は、この言葉に同調し、不快極まる気分が少しだけ和らいだ。

 一週間ほど後の四月一日に、私は、余震が続く東京を離れ中国上海へと向かう予定だ。日本から逃亡した在日不良中国人を追いかけることが、その主目的だ。日本列島に押し寄せてきた地震と津波、そして見えない放射線の恐怖は、中国人だけでなく不良外国人の多くをこの国から一掃した。しかし、彼らは忘れた頃に、間違いなくまたやってくる。

 今は、海を越える不良中国人たちの濁流に、私は、ただひたすら身を任せたいと思っている。

ある中国女の転落。

 2009年7月の夜のことだ。都内のある閑静な住宅街の住居に押し入った二人組の中国人が、老夫婦を粘着テープで縛りあげ、そして脅す。

「カードの暗証番号を教えろ」

 老夫婦は頑なにその回答を拒んだ。業を煮やした中国人の二人組は、いきなり夫を掴むと持っていた包丁で顔を刺し、さらには妻にまで刃を突き刺した。肉体的にも精神的にも追い込まれ、お互いの安否を気遣った老夫婦は、二人組に番号を教えることになる。
 その額、320万円。その金の一部である60万円は、日本の銀行をメインバンクにし、中国人やアジア人がよく使うM銀行を経由して、即座に中国の東北部山東省の口座に送金された。

 この実行犯の男二人に協力していたのが、20代中頃の中国人の女Rである。女は、二人の男を引き合わせ、犯行現場の側で見張り役を務めていた。

「ワタシ、ウンチだから、歌は唄いません」

 真面目に中華料理屋で働いていたRを、私は来日当初から知っていた。一緒にカラオケスナックに行き彼女にマイクを進めると、彼女は音痴をウンチと言い間違いながら、頑なに歌うことを拒んだ。何度か勧めることで、やっとマイクを持った彼女は、生まれて初めてカラオケで中国の歌を唄った。彼女と週刊誌記者が二人して笑いながら唄うこの時の写真を、今も持っている。

「実家に戻るので、成田空港に行くのに電車とバス、どちらが安いですか?」

 日本語学校の学習ドリルを片手に聞く彼女のどこに、強盗傷害の共犯となる萌芽があったのか。身長168センチ、細長い奇麗な足に小さな顔、中国の田舎の美人と言えた彼女のそのはにかんだ笑顔からは、凶悪な強盗傷害の共犯にまで転落していくことは、まったく想像できない変化だった。

 Rは二年前まで新宿歌舞伎町にある中華料理店で働いていたのだが、後に強盗として押し入る二人組の一人の男と、中国山東省にいる時から付き合っていた。そして来日後、めでたく結婚することになる。しかし、電気工として働く男の度重なる暴力が原因で、一年後に離婚する。が、同棲は続けていた。その後、就労ビザが切れた男が中国に帰ることになり、その孤独に耐えかねたのか、二人はある手段を考え付く。偽装結婚である。

 Rは働いていた中華料理屋の店長Aに相談し、偽装結婚のブローカーの中国人女、Kを紹介される。Kは当時歌舞伎町でキャッチをしていて、中華料理屋の客だった。後に鶯谷のデブ専デリヘルとして「M」に勤めている。デリヘル時代の後輩である40代の日本人、Sは独身だった。Kが声をかける。

「少し戸籍を貸してくれれば、いい話があるよ」

 25万円をもらったこの日本人女は、Rが同棲していた男の偽装結婚の相手となり、二人の偽の住まいは千葉に置くことになった。ブローカーであるKが受け取った金はおそらく百万円を超えるだろう。支払い能力の無い男に変わり、金を工面したR。この金が、今まで真面目に働いていた彼女の人生を大きく狂わすことになる。

 多額の借金を背負った結果、Rは、給料の安い中華料理屋を辞め中国人クラブホステスになり、その後ほどなくして池袋の風俗エステ「M」の店員へとその身をやつしていった。そして中華料理屋を辞めた約一年後に、強盗傷害事件を引き起こすのである。

 彼女をよく知るある中国人は言う。

「日本に来たばかりの時は、真面目に日本語の勉強をしており、その変貌ぶりに心底驚きました」

 強盗傷害の現場となったマンションには、偽装結婚のブローカーであるKが住んでいた。彼女は、月末に被害者であり最上階に住んでいる大家に家賃が全て集められると知っており、Kが実行犯である二人の中国人にオートロックの暗証番号を教えていた。そしてKは、事件直後の7月29日に新宿に引っ越している。捜査員が踏み込んだ時、Kの部屋からは大麻も出てきた。一緒に住んでいたOというホストが持っていたという。Oは大麻を捨て逃走を図ったが、部屋の裏側も捜査員は張っておりあえ無く逮捕される。前日も二人は大麻を吸っていたと見られる。

 奪った320万円の内、Kの報酬は60万円で、いくばくかの金がRの学費にあてられていた。実行犯の一人は、既に中国に帰国していた。犯行直後の8月、名古屋入国管理局に自ら出頭し、不法残留として強制退去になっていた。全て計画通りである。

 しかし、この目論見はあえなく瓦解することになる。捜査に携わった都内の国際犯罪を取り締まる組織犯罪対策部二課のある刑事は言う。

「端緒は防犯ビデオ。駅からマンションまでの防犯ビデオをたどっていて割れた。その捜査の過程で偽装結婚やマネロンがでてきた。ふつうはこれに銃がつくが、今回は大麻だった。中国に逃亡した男は、ICPOを通じて代理処罰を頼む。被害額は320万円だが、結局は制限がかかって60万円しか送れなかった。通常、犯罪事実を立件したあとにマネロンを立件するが、今回は同時にやった。これは全国初だ」
 
 2010年6月、Rらは逮捕され、警視庁の捜査員たちが凱歌を上げることになる。

「Rが店で働いていた時にアンタが一発ヤッてたら、彼女はあんな事にならなかったのに」

 事件の後、Rを良く知る中国人に冗談を言われた。

 元々のRが、真面目で優しく、少しおっちょこちょいの女だったことは、言い切ることができる。何がその彼女をここまで変貌させたのか、今も時折考え込む。

 Rは強盗傷害の共同正犯として起訴された。ただただ泣きながら取り調べに応じていると聞いた。おそらく懲役8年前後の実刑判決を受けることになるだろう。

 Rの20代は、日本の刑務所で終えることになった。

プロフィール

小野登志郎

Author:小野登志郎
職業 ノンフィクション・ライター。ハードボイルドに疲れてきた三十路後半男。枯れていくばかりの人生を楽しむことにします。

◆お願い 
 このブログの記事は、転載フリーではありません。
 転載希望の場合は、必ず連絡して許可を得てからにするか、リンク先を明記して下さいね。
 

カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最近の記事
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
お問い合わせ先
お仕事のご依頼、情報の持ち込み、その他お問い合わせ、基本的に何でも歓迎します。下記メアドまで。onotoshirou@yahoo.co.jp

名前:
メール:
件名:
本文:

メルマガ発行中
RSSフィード
リンク
天気予報

-天気予報コム- -FC2-
QRコード
QRコード
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。